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今話題のオトイネップタワーです。

DSC_7886.JPGビートの葉っぱ部分が“ヤマゲラ”に彫り込まれたタワー

皆様、こんにちは。今日も蒸し暑い音威子府です。

さて、20日付の毎日新聞朝刊と21日付北海道新聞朝刊で取り上げられた「オトイネップタワーの行く末」・・・。このタワーについて簡単に説明します。

ビッキは1978年の11月23日に音威子府村字物満内にある旧筬島小学校アトリエにし札幌より移住してきました。アトリエは「3モア」と名づけられました。

翌年には「第1回樹を語り作品展」を開催、旭川市にある(あった)川村カ子ト(カネト)アイヌ記念館にトーテムポールを建立し、新築落成した役場庁舎に「ホルスタインのレリーフ」「天塩川蝶と鮭」「森と啄木鳥(キツツキ)」3点の作品を寄贈しました。

こういった制作活動や社会的活動の中でビッキの存在は村内外に知れ渡るところとなり「筬島に俺が住んで居ると言うサイン、名刺代わりに」と言う発案から、このオトイネップタワーと命名されたトーテムポールが制作されて行くのでした。当初の予定通り「筬島に住んで居るサイン・名刺代わり」であったらおそらくオトイネップタワーなどと言う名称は付けられなかっと思われます。

北大演習林から切り出されたヤチダモは勇壮で、さっそくアトリエ3モア前で制作が始まりました。この過程の中で「これはすごい!これだけの作品は音威子府の市街地に建てて音威子府村のシンボルにすべきだ!」と言うことから“計画変更”となって1980年9月、完成した作品を筬島から人力で運び音威子府駅前に建立されたのです。

しかし残念ながらビッキが亡くなった翌年の1990年4月8日、春の強風で上部が折れ「危険である」ことから「乳牛の顔から残して、上部は切断撤去」の判断が下りました。

現在筬島に建っている状態で数か月は音威子府駅前にその姿を残していたのですが、今度は国鉄天北線という地方ローカル線が赤字を理由に廃止され代替のバスが運行されることから「バスの乗り入れに邪魔である」(はっきり言うと)として、これまた撤去保管となった訳です。

それから10数年が経過しました・・・。「ビッキの記念館をどうしても建てて彼の功績を全世界に発信したい」と言う動きも行政や地域の中で動きだし、保管先を知っていた私はオトイネップタワーの状態を確認し「これはいい。まだまだ大丈夫だ」と判断し、当時の村長や関係者にお話をして「制作した筬島に建立しよう」と許可をいただきました。

2002年7月、ついにオトイネップタワーは筬島に戻ってきました。上部はありませんが、乳牛とじゃがいもとビートがはっきりと彫りこまれた7mを建てました。土台は「社会貢献」と言う名目で旭川市の新谷建設と言う会社が作ってくれたのですが、当時は本当に驚きました、今でも心から感謝しています。

翌2003年4月には「エコミュージアムおさしまセンターBIKKYアトリエ3モア」として待望の記念館がオープン!以来オトイネップタワーはそのシンボルとして、筬島のシンボルとして今日も聳えています。

1980年から1990年まで音威子府駅前で、2002年から2012年の今日まで、実に20年以上オトイネップタワーは姿を変えて聳えています・・・ですが、もう疲れてきたようです。

「風雪と言う名の鑿」は容赦なくタワーに吹き付け、まとわりつきます。「朽ちるに任せる」その意図は既に終えたのでは・・・。一度「場の記憶」から姿を消したタワー・・・。

私たちはこのオトイネップタワーの姿をできる限り長く保存したいのです。ビッキが制作し野外に展示されその姿を原形のまま残している・・・もうありません。

今年の閉館日、10月31日までにこのオトイネップタワーに「動き」があることだけお知らせいたします。


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